ラガーマン日誌18 HO1


今日を持って、
改正暴力団対策法が施行されました。

数日前、以前に相勤し、道案内に、運転手に、宿貸しに、もちろん捜査に協力してくれていた

今は、一端の丸暴刑事になった巡査部長が、尋ねてきました

こいつは、ゲイです
真摯すぎる矜持を持った、柔道四段の男です。

疲れているくせに、
一升瓶抱えて、人なつっこい照れ笑い浮かべて。

最前線の現場、状況報告を聞きながら、ちびりちびり、酒のみました。

(自分が大好きな)金的責めを、強弱つけて
イジメ揉みしながら‥
(笑)

唸らせる話、聞いたので
以下は、本人に打たせました。
(元々、自分の携帯、貸してた時期があるんで、なれてるんすよ、こいつは。)

《記述--

普通の主婦でありましたので

学歴もなく,技術もなかった母親は,
個人商店の手伝いみたいな仕事で
生計を立てていたのです

それでも,当時住んでいた福岡の片田舎は,まだ人情が残っていましたので,
何とか母子5人で質素に暮らしていけたのです


娯楽をする余裕なんてのはなく,日曜日は母の手作りの弁当を持って,近所の河原とかに遊びに行っていました

給料を,もらった次の日曜日には,クリームパンとコカコーラを四人に買ってくれました


ある日,母親が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきまてくれました。


俺は,生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し,
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれました
弟たちは,親戚に頼み母親と二人で町へ出かけたのです

野球場に着き,チケットを見せて入ろうとすると,係員に止められました

母がもらったのは招待券ではなく優待券だったのです


チケット売り場で,
一人1000円ずつ払って,チケットを買わなければいけないと言われ,

帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは,外のベンチで弁当を食べて帰ったのです


電車の中で無言の母親に
「楽しかったよ」と言ったら,


母親は
「かあちゃん,バカで,ごめんね」
と言って涙を少しこぼしていました

俺は,母親に,つらい思いをさせた貧乏と無学が,とことん嫌になって,一生懸命に勉強したのです
大好きでした野球は,それ以来,見ません
母親が続けろ
と言い続けた柔道は,必死に,やったのでした

新聞奨学生・柔道推薦として大学まで進むことができ,
いっぱしの公務員になれたのでした

神奈川県の大学に行くと決まったときの
うれしくて堪らないと
泣いてくれた母親の顔は,忘れられないのです

早くに結婚もして,母親に孫を見せてやることもでき・・・・・

そんな母親が,亡くなったのです


死ぬ前に,一度だけ目を覚まし,


思い出したように
「〇志,野球,ごめんね」
と言いました


俺は
「楽しかったよ」
と言おうとしたのでしたが,

最後まで声にならなかったのです

みなさま,ご無沙汰をしております

HOです

いつの日にか,また仲間に入れてくださると
うれしいのです》



こんな話しを 聞かせてくれ、
疲れきってる上、
金タマ殴られ、睾丸そら豆にされ、もがき苦しみながら
それでも、すぐ、折り重なるように、爆睡しちゃったデブ・HO‥‥ずいぶん、大人の男のツラ構えになってきてました。

今回は これぐらいで
失礼します。

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