ラガーマン日誌17 大学一回生


理不尽なシボリは、必ず将来、役に立ちます。

少なくとも社会に出て、すぐ仕事を辞めたり、敬語も使えない人間にはなりません。

過酷で理不尽な環境の代名詞
それが体育会でした。

強豪校であれば、その辛さは尚更だったと思います。
それなのに、自分を含めた、出身者たちは当時の思い出を喜々とし、思い出しちゃいます。

先輩・後輩の序列は絶対でした。

『1年は奴隷、2年は平民、3年は天皇、4年は神様』。

試合で負けたり、先輩の気に障ると、寮の屋上に呼び出されて正座させられ、まず金蹴り‥バットや木刀、杖などで、いたる所を、叩かれる
〓お説教タイム〓でした。

 寮の廊下に、2時間正座させられ、足がしびれてるのに、つま先で睾丸を蹴り続けられ、気分が悪くなったとき、寮長が珍しく
「部屋に戻って休め」
と声をかけてくれました。

でも同級生に悪いし、絶対に他の先輩から目をつけられますから、恐る恐る断りましたら、
『俺の言うことがきけねえのか!』

と金的殴られ、睾丸、片方だけ潰し込み、永遠に感じるほど、ヤラレました。
結局、何をやっても一緒なんです(笑)
先輩のひと言が、すべてでした。

 とにかく
「はい」
しか許されないんです。
先輩に刃向かうなどありえません。

しかし、一日だけ、本当の

〓無礼講〓

が、ありました。

うちの大学の伝統は、4年生の追い出し試合と送別会です。
その日は、4年生に何をしてもいい唯一の日なんです。

どんぶりで、無理矢理、酒を飲ませ、胴上げした後、地面に落として
後輩が殴る蹴る。
ホントに、死ぬんじゃねえか?と感じるくらい
先輩のキンタマ、狂ったように殴りつけてる光景が、部屋のアチコチで見受けられました。
(-.-;)
評判の悪かった4年生、特に寮長などは、
エズきまくって、股間抑えて、のたうち回ってましたが、逃げる事はできませんでした。

‥だって、ここで逃げたら、4年間がパーになりますから‥
監督も、コーチも、OBも、誰も止めませんでした。

儀式だから、先輩たる者は、それを甘んじて受けるんです。

でも、もうあかんやろう、この人、気絶しかかってる。‥‥‥ってな時に、
最後は必ず、その卒業生に、一番苦しめられた、
寮の部屋付きだった1年生や2年生が

『もうこれぐらいにしましょう』

と、助け船を出すんです。

自分も、自分の部屋付き先輩が、他の奴に、あまりに、やられてると
バカヤロー!って蹴散らしちゃいましたし(^-^;

自分が卒業する時、袋にされ、金玉抑えて、ゴロゴロしてた俺の上に、重いデカイのが、覆い被さってきました。
ハイ、護りにきたのが、自分の部屋子だった
空飛ぶプロップでした。

半泣き顔で、
てめぇら、止めろ!〇〇さんに、これ以上触れたら、ぶち殺すぞ!
とか、喚いて 俺を守ってたんです‥

 当時の先輩には、後輩を守るという思い、そして威厳があったと思います。

〓お説教タイム〓も、イジメとは違っていたのかもしれません。
玩具にされた事も、素っ裸にして玩具にした事も、ありました。

でも、本当に、困ったとき、
揉め事が起きたとき
辞めようと決めたときには、
必ずや、先輩が助けてくれるから、
後輩も、先輩に尽くそうとしたのかなあ‥‥。

理不尽ばかりなのに、不思議と、義理や恩を感じました。古き良き時代なんすね~(恥・笑)

少しだけ 感傷的に なっちゃいました‥


次回は 内容 未定です。
やっぱり 自分 馬鹿なんで 皆さんの小説のように
順序立てて 物を書く能力が ありません(-.-;)

ですから 想い出が 湧いた都度 書かせていただきます。
m(__)m


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