ラガーマン日誌16



志満礼(しまれ)
賀武伐烈(がんばれ)
年伐烈(ねばれ)
意志貴烈(おしきれ)

だったなあ‥確か‥(^-^;

を、モットーとした
高校時代のラグビー部は
黒衣軍団と呼ばれ、入学当時、全国制覇一回、準優勝二回の名門でした。
いまでも 花園出場回数は、全国屈指です。

中学時代から、その志望校に入れましたら、絶対、ラグビー部に入ろうと決めてましたから!

今も、出身者に、東大・京大や官・財界に多数の有力者が、みえます。自分は超・阿呆でしたが、生徒会長をやっていたラッキーも有り、内申点が良く、ギリギリ入学できました、文武両道をモットーにした、公立高校でした。

そんなラグビー部、
初日から‥夕方から日の出まで、練習(^-^;
授業中、寝たら、制裁。
制裁は、顔面→腹→金的
の順番で、3セット。
一年生が寝るのは、放課と昼休みと明け方。

ランパスで、楕円球を落としますと、楕円の尖った所を、股間に何発も、ぶつけられます。
モールでは、金的を握り捻られ、トライに向かって走りだすと、キンタマはたかれ、スピードダウン
(-.-;)
ラックでは、まともに、キンタマ踏まれます‥
スクラムを、めくられますと、顔面ぶん殴り‥

逆らうと、退部すればイイと言われました。

でも、一年の湯布院合宿が、終わるころには、早くも、次第に痛みや、理不尽さに対して
鈍感になってくるんです。でも残るのは、5分の1くらい。

怒りがないので、アドレナリンをあげられないから、金的、やられますと、すぐに悶絶していましたのが
先輩に対しても、脳からドーパミンが、ドクドクでるような、練習を、
自分が知らないうちに、させられていたのです。

気絶してしまった方が、楽といわれた、高校のシゴキ・制裁に一年間、耐えまして、自信や度胸が、少しは、ついてきました。
そしてそれ以上に、上の人たちの教えてくれることを、素直に聞ける男に育てられていきました。
阿呆、それが良かったんだと思います(笑)
ただし、奴隷ではなく、自分で必ず目標を持ち、皆の前で、発表させられました。

監督は、その目標が必ず叶えられるんだ
と、信じる事
これが、大切なんだと、いつも言われてました。


今日は試合だ、良かった!楽だから‥‥って‥あれ?

花園の全国大会で、大阪のホテルから、花園まで走って行って勝ちました。

体が暖まっているから、いきなり試合ができるんです。
で、すぐ夜行バスで帰って、一年・二年は、翌朝5時から練習‥嘘だろう
‥f^_^;。

優勝おめでとう!
なんて喜んでるレベルじゃなかったんす。
練習だろうが、試合だろうが、ただただ毎日、
死なないで良かった、って思っている奴ばっかりだったんです。

正直、ラグビーの楽しさや勝つ喜びなんて、高校一年時代は全然知らなかったんです‥かな?

ただ 陰湿な、イジメや制裁は、ありませんでした。金的悶絶も、爽やか???(>_<) に やられてました。
ひたすら 体幹を強く、痛みに強く、本能的に、逃げない体と心を、自然に作ってくれていたんです。

前へ 向かって 信じること。
この監督の口癖が 知らず知らずに もう 志望大学を決めていくことに なりました。

次回は 黒衣軍団二年生に なります‥


<ラガーマン日誌15へ||ラガーマン日誌17へ>

TOPへもどる