ラガーマン日誌6


rugby
星空が本当に綺麗です。

見つめていると、
心が落ち着いてきます。

特に冬、
南に輝く、
シリウスが大好きなんです。

 職務上、
休みがとりずらいんですが、
今は、
結構暇です。

自分は、
大学はラグビー推薦で、
名前だけ書けば行けましたから、
ラッキーでした。

でも、
それで大卒になれたのは、
体力だけのバカの自分にとっては、
凄く運が良かったと思ってます。

良いこと、
悪いこと、
いろいろ、ありましたが
自分にとってラグビーは
人生の全てを作ってくれました。

 自分のラグビー大学現役時代は、
菅平というラグビー専用とも言える所で
毎年、
合宿しました。

有名な高校・大学・社会人チームはまず、
菅平にやってきます。

なかでも一番つらい練習というのが、
延々と続くランパスです。

最低でも一時間以上は毎日パスしながら走り続け、

パス落としたら倍づけです。

落後者は出せませんから、
ゲロ吐いてる奴に、
肩かしたり、
自分の部屋子、
同期などは、
オブッテでも走りつづけます。

バックスの連中は
やはり走るのが得意で、
自分らパワー型のデブは、
マジつらいです。

タラタラやってるのがばれますと、
全員
『ダボスの刑』
です。

スイスのダボスに似ている丘を30往復です。

ケツから三人は、
晩飯食ってからまたスクラムシーンに向かってタックルばかりやらされ、
後ろから、
けつ下、
金玉かちあげの刑です

(親指、けつに突っ込まれるのも、スゲエ痛かったです。)

当時、
今よりデブの自分は、
泣きそうな合宿でした。

まともに、
先輩に金玉を、
かちあげられたり、

酷いのは、
片玉だけ、
右、左っと交互にグリッとやられ

(どっちが痛いとか、笑いながら聞かれます)

あと
両腕、
頭の後ろに組んだまま、
頭と膝、
前のめりに着いて、

玉潰しをかけられ、
悶絶の湖に
30分くらいは、ハマっていました。

本当のスクラムの時はもっとラグパンの上か、
股の付け根あたりをつかんで押し上げます。

いつも、
玉をかちあげてくるのが
自分の部屋付きの先輩です。

菅平、
ダボスに行きますと、
ラグビーのメッカなんすが、
みんな人格が変わるんです。

 一年の夏合宿以来、
先輩が癖になり、
寮に戻ってから、
俺の睾丸が先輩の玩具と化してしまいました。

大体は、
自分が夜、
先輩の身体を全身マッサージ、
寝られるまで、
やりましたが、
たまたま、自分がやってもらえる時がありました。

ストレッチで
仰向けで、足を延ばしてもらう時に、
必ず、
二カっと笑われたらもうダメす…

SMショウのごとく、
グウ拳固で、バスッ。

(そんな時は必ず、腕は頭の後ろで組んでいなければ許されません)

掌底でドウ-ンとやられ、
自分の全身がピクピクしだすまで、
咆哮し続けて地獄責めをやられました。

おかげで、
睾丸がすぐ、腹腔に上がる癖が、
ついちゃいました。

でもこの先輩は本当に良い人でした。

羞恥心と言う物を、
持ち合わせて見えなかった事は、
辛いし、笑えましたが、

自分が、
あぶら汗ベタベタ出して、
くの字になってますと、
回復するまで待っていていくれ、

痛ぇか?

とか言い、
汗拭ってくれ、必ず

飯食いに行くぞ!

と、たらふく肉でも何でも食わしてくれ、風呂でした。

自分が寮長や他の先輩からシボリ受けてたりしますと心配そうに、
見ていてくれ、
あまり酷い時には、

部屋付き先輩が頭下げて、

もう勘弁してやって下さい

って、自分を引き取ってくれた事も懐かしい思い出としてありました。

その先輩は、
四年で主将になられた実力ある方だったから一目置かれてました。

一年の時から、
この人になら、ついていける!

って思えましたから自分は、
運が良かったと思います。

また、当時
150人くらいいた部員で、
一本目プロップの部屋付き先輩と、
早く公式戦でバインド

(スクラムパックでぐっと身体密着して肩組むこと)

したいと思い憧れ練習し、ダボスの丘でいつも死んでました。



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