ラガーマン日誌4


大学寮生活での

ゴールドポストを使った

股裂きのタマ打ち付け刑は、
みんな喰らったんですが……、

自分は、
中学時代相撲やってましたから、

両玉が腹腔に上がるのが早いので、(笑)

凄い苦痛はありませんでした(笑)

 ラグビー合宿のメッカ菅平行きますと、

よくポスト下に正座して、
あぶら汗流してる奴、
見かけます。

睾丸責めで、
やはりキツイのは、
前に話しました?かな?寮長でした。

中でも問答無用で、やられまくった、
玉の位置確認をされた上での、
真下からのパンチです。

それと仰向けに転がされて、
腕を頭の後ろに組まされ、
俺の左足の太腿の上に
跨って座り込み、
俺の左足の太股あたりを
寮長が左腕でかかえ、

股を閉じられないようにされ、
寮長の空いている右手で、
睾丸をえぐるようなパンチの連打っす
<_<)0>>

大概、
一人部屋の寮長室に呼ばれまして、
鍵・施錠しやがります。

緩急織り交ぜて、
長い間、
金玉、
可愛がられ、
何回も気が遠くなる程で、
いやぁな冷たい汗で、ベトベトになり
俺の乳首ひねったりされ、
後ろから抱きついてくる事もありましたが、

一回生の自分は、
四回生の、その寮長が

生理的にも、
性格をも、大嫌いでしたから、
さり気なく、いつも払ってました。

そんなストーカーもどきの事もあり、
余計に、三回生の先輩にいつも、
付いていたのかもしれませんでした。

部屋付きの三回生の先輩は、
一本目、レギュラーで、

寮長は三軍か四軍か五軍でしたから、
部屋付き先輩には、多少遠慮はしてましたから。

ただ、その当時は、
その三回生の先輩を、
愛して自分が好きになるという気持ちは、全く、ありませんでした。

尊敬はしておりましたが。

自分が部屋付き人やったその先輩は、
自分に対して、
決して無駄に残忍で意地悪な先輩ではありませんでした。

デートや、試合前なんかに、わざと用事を言い付けたりもありません。

ただ、ラグビーに関しては、
ボール磨きなどが、
少しでもいい加減だと、
容赦無く
吐き気がするまでキンタマ打たれ、
イジられました。

四年でキャプテンになられ、
現在のジャパンJR監督さん達と
互角にわたりあわれた方で

自分が一年であっても、
奴隷として、
こき使うより、
練習相手・ラグビー部を強くするために、
俺を鍛え上げた方が、
はるかに便利だったんだろうと思います。

試合での、アドレナリンのあげかたとか、
熱く冷静な間の取り方、
金玉の落とし方(笑)

など、
対等の扱いを受けながら、
教えていただいたもんでした。

周囲の一年生・二年生から、
随分、
羨ましがられ、やっかまれたっす。

でも、部屋付き先輩は、
実際、人格者というわけではなかったです。

二人だけの時、
酒が入れば、
悪ふざけしますし、

虫の居場所が悪ければ、
俺のキンタマ、徹底的に責め、
執拗に、なぶりものにして、
鬱憤を晴らすことも、
よくありました。

自分も、それなりの屈辱を味わい、
時には先輩を憎んだりしてたものです。

そんでも、
ラグパンはきジャージ着てグランドに立たされると
弱音は絶対はかれず、
その美しさ?素晴らしさ、強靭さに
心酔しつつ、
俺の奴隷の二年間は
その先輩との涙の別れとともに終わりました。

自分が四年で幹部に、なったころ
その先輩は、
首の靱帯・壊され、
社会人ラグビーをも、引退されてしまいました。

今にして考えると、
男の姿を本当に教えていただいたんだと思ってます。

後半の二年間は、
日本高校代表として、
鳴り物入りで入学し、
自分の付き人として相部屋となり、

数年後、
うちのラグビー部のスーパースターとなる、

前回、紹介した
180㌢120㌔
空飛ぶプロップと名付けました、
後輩との短い二年間となります。

今、女房とチビかかえながら、バイとして、
性的欲求という感覚は、
職場の先輩にだけなんですが………、

大学時代に刷り込まれていたのかも、
知れません…
自分で自分が、わからないうちに…

 続

<ラガーマン日誌3へ||ラガーマン日誌5へ>

TOPへもどる