ラガーマン日誌11 父



小学5年生のとき、
よく、飲みながら、ニコニコして
突然、ぶん殴られたりして
父が恐くて、家にいると辛いことが多くありました。

(まあ、自分が喧嘩ばっかして、友達の親から文句言われてたからなんすが‥)

それで、父が、仕事休みで、ごろ寝している所を、キンタマ思いっ切り踏んずけたときには、半殺しにあいました(^-^;

寝ている無防備な時に、そんな卑怯なマネをする奴は、出てけ!
と叱られ
フルボッコにされ、その後、父は急に崩れ落ちるように、しゃがみ込み
のたうち回ってました。


自分は、卑怯者と言われ、ガキのくせに、自己嫌悪に陥ってました。
それ以来、自分から手を出す喧嘩は辞めました。

家で喋らなくなった自分を、母が気晴らしに旅行に連れて行ってくれました。

平和な外にいると家に帰るのが辛くて、
少しでも長く現実から逃避したく、新幹線で帰る母と別行動で鈍行で帰ると言い張ってしまいました。

鈍行で帰ろうとしたっすけど、阿呆の小学生には地方の交通事情が分からず、
気がつけば終電で、田舎の山の中の小さい駅に一人取り残されていました
(無人駅でした)行けるところまで行って、終電から始発までの数時間はコンビニかファミレスにいよう

などと軽く考えていたので、夜9時には電車がなくなるとか、駅前にコンビニどころか交番もないとか‥‥
予想しておらず途方にくれてました。

駅前には民家にしか見えない食堂みたいなところがあって、
飲み会かなにかしているらしい他には、お店も何もありませんでした。


駅に しばらくいたんすが、怖いし、お腹はすくしで、びびりつつ食堂に入りました。
食堂では、地元の少年ラグビーの保護者らしい大人たちが飲み会をしていて、(〇〇ラグビースクールと書いてありました)

正直かなり恥ずかしく、
半泣きになりながら、うどんを頼みました。

おばさんが 不審がって事情を聞いてきてくれたので、
一人旅の最中で、電車の時間をきちんと調べていずに終電になってしまった旨 話しました。

そしたら、少年ラグビースクールの大人たちが、心配してくれて、
皆を送るためにお酒を飲まないでいた
という男の人が電車のある駅まで送ってくれるという話になりました。

もちろんびっくりして断ったんすけど、誰かの家に泊まるか
(皆、自分くらいの子がいるらしかったです)
送っていってもらうか
どっちかにしなさい
と言われて、同い年の子に奇異の目で見られるのも
つらかったので送ってもらうことにしました。

今考えますと、相手がいい人たちで よかったと思うしかないです。
送ってもらう途中の車内で、運転席のおじさんが、自分にも少学5年生の息子が、いるって話をしてくれました。
現実逃避であって家出ではなかったし、一人旅とは言ったんだけど、まあ普通は家出と思うだろうし 、
親と、うまくいかなくて家出してきたのかと思われたらしかったです。

「うちにも、きみと同じ少学5年生の息子がいて、最近は難しい年だからうまくいかないこともあるけど、ラグビーをはじめさせたら、よく俺に話しかけたり、タックルしてきたりで、親子二人で公園で練習してんやで。

 でもそんな、うちの息子が、どこかで困っていたらと思うと親だから心配だし、自分が駆けつけられないなら
 近くにいる人に助けてもらってほしいと思うんだ。
 きみの親御さんも同じように思っているだろうから、これは人の 親としての義務であって‥、
 だから感謝はしなくていいから無事に帰りなさい」

みたいなことを、ちょっとずつ一生懸命話してくれて、きみもラグビーをやったらどうだとか、気を紛らしてくれてました。
3回くらい、父の急所を力任せに踏み付けたら、ものすごく痛がって、そのあと、半殺しにされた話しも、しましたら
おじさんは、
「お父さん柔道有段者なんだろ、大丈夫だよ。お父さんが怒ったのは、寝ている時に、やったから怒ってんだよ。正々堂々たる態度でなら、絶対怒らないよ。おじさんも息子とラグビーやってるとき、よく頭から急所に突っ込まれるんだ。だけど笑ってごまかしてるよ」


こんな大人が、自分の父親だったらなあ‥とか思ったりも、その時は、していました。

食堂のおばさんが作ってくれたおにぎりをもらって駅で別れました。
私が駅に入っていくまで車は駅前にずっと停まってたので、中は見えないけど、手を振りました。

送ってもらった、駅からの終電と、地元の駅からの終電が重なる駅まで、父が迎えに来てくれてました。
(今、思えば電話してくれてたんですね)

うちは車がないので、そのまま、そこの駅前のビジネスホテルで久しぶりに父と二人で寝ました。
ぶん殴られると身構えてた自分を、腹減ってないか?とか言って、ずっと頭、撫でてくれてました。それで、父にラグビーやりたい!って言いましたら、一生懸命、探してくれました。
結局、近くにラグビースクール、なかったんで、相撲を始めました‥

そのあと、お礼の手紙は送ったけど、行く勇気がなくて行けずにいました。
でも、このことがあって、家の中は相変わらず恐い父だったけれど、自分も誰かに親切にできる人になりたい
と思いました。

席を譲るとか、荷物を持つとか具合が悪そうな人に声をかけるとか。

で、高校生のとき、新幹線に乗った。私は福岡からだから数本見送れば混む時期にも座れる。
座っていたら途中で混み始めて、赤ちゃんを連れた女の人が困っていたので席を替わりましたた。
そのあとその人の旦那さんが、指定席に席が取れたと言いにきて、二人は移り、私は席に戻りました。

しばらくして、わりと空いてきた頃、親子の二人連れが乗ってきたけど、二人並んで座れる席が
ないみたいで ばらばらに座ろうとしてた。
自分は二人がけに一人だったので、声をかけて他の席に 移って、そこで寝てしまいました。
しばらくしたら目が覚めたんだけど、隣にいたおじさんが心配そうに、

「降りる駅はどこですか?今○○を出たところです」

と訊いてきました。
降りる駅は終点近くだったし、着く時間に合わせてアラームをセットしてあったから、寝こけて
いたんですが、おじさんは、それを知らないので心配してくれてたらしいのです。

「さっき赤ん坊を連れた女性が来たとき、自分は勇気がなくて声をかけられなかった。
 君は、とても疲れているみたい なのに(前日徹夜練習だったから、疲れた寝顔だった模様…)
はじめは、席を譲って立っていたし、今度も親子に席を譲って狭い席に来た。
 親子はとても喜んでいて、特に子供は窓の外が見れて嬉しそうだった。
 いい子がいると思って、自分も何かしたくなった。
 自分は終点まで行くので、着いたら起こします」
と言ってくれました。

なんというか、親切な気持ちって、いろんな人の間で回ってるんだなと思って、私もその輪の一人になれたんだと
思って、駅で降りて、なんとなく泣いてしまった。

褒められて嬉しいとかじゃなくて 、なんかありがたかったんです。
そのうち、あの食堂に行きたい。
と父に言いましたら、とっくに母と二人で
行ってきたぞ。お前のラグビーと、心の転換を作ってくれた 大切な食堂だからな」
でした。

父のことが、好きで 好きで たまりません。二人で飲む酒は 最高です。
母は、つまみを 作って 二人の前で いつも嬉しそう笑ってくれています。


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