特攻花
(1)
雪が舞う1月の神社境内。
北海道佐女川神社の寒中みそぎが始まったのは1831年。
この年、神社守の夢枕に「御神体を潔めよ」とのお告げがあり、身を切るような冷水で自身を潔め、聖なる神の使者と信じて4体の御神体を幾度となく沐浴した。
その年から、豊漁豊作が続き村は大変賑わった。以来、修行者と呼ばれる4人の若者が神社に籠り、極寒の中を、昼夜問わず真水で何度も自身の身体を潔め、御神体を抱いて厳寒の津軽海峡に飛び込んだ。
修行者は未婚の男子で4年務めることとされ、町民は、逞しく凛々しい青年の、厳しい修行に対する真摯な姿に、敬意を表した。
病弱の父親に代わって一家の大黒柱である岸本雄平は18歳の誕生日、境内でその様子を見て決意した。
「母ちゃん、俺、来年、修行者になる」
「本当かい。よく・・・、よく言ってくれたね」
「それで、父ちゃんが良くなるなら、4年は頑張れるし、やりきる」
「誰もがなれるもんじゃないのよ。でも雄平なら、宮司も、氏子も反対はしないわ」
「兄ちゃんなら、あの人よりおっきいもん」
「おっきい、おっきい! 兄ちゃん、おっきい」
雄平は6人兄弟の長男、一番下の妹、末子が小躍りしながら雄平に抱きついた。
下から2番目の弟、康平も、末子に真似た。
「そうだろ、兄ちゃんおっきいから、神様になって父ちゃんの病気直しちゃる。強い兵隊さんにもなる。末子も康平も、昭一、梅子、義典、父ちゃんも母ちゃんも、みんな護っちゃるからな」
父親の病状は良くなかった。入院させて治療を続けさせたいが、暮らしに余裕がない。
近所から卵を貰い、時に白米を食べさせ、牛乳を飲ませたりした。
海焼けした黒い顔に無精髭。18歳とは思えない落ち着きと精悍さを漂わせる雄平。
貧しくも、懸命に生きる家族の平穏は、翌日の召集令状を受け取るまでのことだった。
戦況が厳しいことを、雄平の家族が知らなかったわけではない。召集を口にしなかったわけでもない。
「兄ちゃん、兵隊さんになるの?」
「うん。そうだよ末子、兄ちゃんは、鬼畜米英を討ち取るんだ。凄いだろ」
「へぇ~、どうやってうちとるの?」
「鉄砲で撃つのがいいか? 飛行機で撃つのがいいか? それとも・・・」
「ヒコーキがいい、ヒコーキ乗りたぁい」
「わかったよ、末子。兄ちゃんは、ゼロ戦に乗って、敵をやっつけてくるからな」
「兄ちゃ~ん、康平も行くぅ」
「あはは、だめだよ康平は、兵隊さんが寝小便してたら笑われるべさ」
その日、いつもは一人で入る風呂に、幼い末子と康平を抱いて湯船につかり、昭一と義典には、父ちゃんと母ちゃんを支えることを誓わせ、一緒に入ることをためらった梅子にはあがり湯を背に流させた。
弟、妹が寝静まった夜更け、雄平は寝床に横たわる父の前に正座し、頭を垂れて手をついた。しばらくは何も言えず、畳の目を爪で掻いた。
やがて、深く呼吸して父親の顔を見つめた。
「俺、修行者には、なれなくなった。
父ちゃん、母ちゃん、すまん。
でも、俺は神社の神さんになるんじゃなくて、
・・・天皇、・・陛下に、・・・・この命を・・・・捧げる栄誉をいただいた。
・・・・・・行って・・くる」
ぽとり、ぽとり、手の甲に涙が落ちる。
堪らず、母が前掛けで顔を覆う。
父は、眼を閉じたまま、ゆっくり、何度もうなずいた。
生唾を飲む、やせ細る喉仏がゆっくり動く。
無念そうに伝う涙が、枕に染み入っていく。
やっと、震える声を絞り出すように「行って、・・・こい」を言う。
堰を切ったように嗚咽する母の背を、雄平はさすり続けた。
遠くに聞こえる海峡の波濤。
月も星もない夜は過ぎて行った。
日の丸の小旗が波打つ駅前の広場に、雄平は魚箱を返した上に立った。
「岸本雄平君、バンザーーーーイ!」
漁師町からまた一人、戦地へ送る万歳の声が轟く。
何度も繰り返される万歳の中で、親友の光男が雄平に耳打ちする。
「昨日、修行者の一人にも赤紙が届いたと。鉄郎。」
「高田に? 鉄郎にも来たのか?」
「おう。鉄郎の母ちゃん、泣いてよぉ・・・。俺んとこにも、そのうち来るべな」
「うん、光男、来たら戦地で一緒にあいつらやっつけるべ、な!」
「おう、日本が負けるわけない、負けるわけが、ないんだし、な!」
固い握手と、互いの肩を抱き合い、雄平は出征した。
(2)
大刀洗陸軍飛行学校知覧教育隊は、昭和16年末知覧飛行場の完成を待って創立した。
第10期少年飛行兵の教育を開始、以後、少年飛行兵、下士官学生、特別操縦見習仕官等が相次で入隊した。
猛烈な教育訓練の下で、数多の飛行機操縦者が巣立って行った。
教育期間僅か2年9ヶ月にして戦局の推移と知覧飛行場の地理的戦略的関係により、昭和19年9月、町民の念願も空しく教育隊は解隊となり、後に飛行戦隊が駐留し、昭和20年遂に特攻の基地と化した。
昭和17年、操縦教育を受けるため、第10期陸軍少年飛行兵78名の若者は知覧駅に到着し、町民から熱狂的な歓迎を受けた。
少年たちは飛行場までの約2kmの道を完全武装で堂々と行進し、その姿に戦争勝利を疑う町民はいなかった。
練習機が飛んでくると農耕の手を休め、登下校の途中の生徒たちは、空を見上げて手を振る風景は日常となり、町民と飛行兵との友情の交換は絶えることなく続いた。
しかし、昭和20年、知覧飛行場が特攻基地になろうなどとは、町民のだれもが夢にも思わないことだった。
零戦に250kg爆弾を抱かせて体当たりをやる――――
昭和19年10月、大西中尉の提案により特別攻撃隊の編成が決定された。
最前線にいて、毎日何人かの仲間が戦死してゆく現実に直面していた若き軍人には、必死必中の体当り攻撃に手を挙げる精神的な下地があった。
最初の特攻隊となる第10期飛行予科練習生出身の搭乗員23名と関行男大尉の24名を、剣道の神風(しんぷう)流から着想して神風特別攻撃隊と命名。
“敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花”と、本居宣長が詠んだ言葉を引用して、
4つの部隊には敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と名づけられた。
「日本はまさに危機である。この危機を救いうるものは大臣でも、大将でも総長でもない。それは、若い君たちのような純真で気力に満ちた人である。みなはもう、命を捨てた神であるから、何の欲望もないであろう。ただ自分の体当りの戦果を知ることができないのが心残りであるに違いない。自分はかならずその戦果を上聞に達する。一億国民に代わって頼む、しっかりやってくれ」
大西中尉は体を震わせ、目には溢れる涙を湛え「死」を命じる訓示を終えると、
隊員の一人一人と握手して彼らの武運を祈った。
水杯を交わす。
知覧の陸軍特攻基地を出撃していった特攻隊機は、開聞岳上空を旋回していた。
雲ひとつない蒼穹の空。円錐に裾が広がる美しい薩摩富士。
二度と戻ることのない祖国への惜別、君恩のために自らの命を呈して散る慶びを胸に、若き男たちは凛として西南に向かったのだった。
優秀な飛行隊員である関大尉は、計画に指名された時、“自分ほどの技術をもってすれば、特攻することなく撃沈できる”と苦悶の日々を送ったが、その指名を受け入れる決意をした。
関行男大尉遺書
父上様 母上様
西条の母上様には幼き時よりご苦労ばかりおかけ致し、不孝の段、お許しくださいませ。
今回帝国勝敗の岐路に立ち、身をもって君恩に報ずる覚悟です。
武人の本懐これにすぐるものはありません。
鎌倉のご両親におかれましては、本当に心から可愛がっていただき、その御恩に報ずる事も出来ず征くことを、お許しくださいませ。
本日帝国のため、身を以て母艦に体当たりを行い、君恩に報ずる覚悟です。
皆様御体大切に
満里子殿
何もしてやる事も出来ず散り行くことはお前に対して誠にすまぬと思っている。
何も言わずとも武人の妻の覚悟は十分出来て居ると思う。
御両親様に孝養を専一と心掛け生活して行く様
色々と思い出をたどりながら出発前に記す
恵美ちゃん坊主も元気でやれ
教え子へ
教え子よ散れ山桜此の如くに
愛媛県出身 海軍兵学校卒(第70期)
神風特別攻撃隊敷島隊
昭和19年10月25日フィリピン・レイテ湾にて特攻戦死 23歳
大西中尉は米軍が特攻対策を講じ、その戦果が急激に落ちてからも特攻をやめなかった。
特攻を命ずる者は自分も死んでいる―――
生ある者としての振る舞いを自ら、禁じた。
(3)
特攻隊員には19歳~23歳ぐらいの未婚の若者が多かった。
中には、特攻隊員になる必要もないし、なれない位置にいたにもかかわらず自ら志願し、自らの責任を果たした軍人もいた。
野本中尉は岐阜県の農家に5人兄弟の長男として生まれた。
鋤と鍬で農地を耕し、一家を支える大黒柱の働き者だった。
「赤紙が来たら、俺は、先頭に立って、父さんの言うとおり手柄をたてるさ」
「亮介なら、米兵を倒せる。利口者だからな」
造林の事故で片手を失った父親の口癖だった。
野本亮介は入隊後、特別に優秀であったため陸軍から転科して陸軍航空士官学校に入校し、のちに、中尉として、少年飛行兵に望ましい性格を形成する精神訓育を行っていた。
野本は特攻作戦が実施される前から「事あらば敵陣に、あるいは敵艦に自爆せよ、自分もかならず行く」と繰り返し言っていた。
生徒達は、教えは厳しいが熱血漢で情に厚い中尉を信頼し、尊敬し、あこがれを持っていた。
野本の教え子である岸本雄平は、北海道の故郷にいた。
出撃前の、別れの休暇である。
絣のモンペに割烹着。
懐かしい磯の匂いと潮風を受け、烏賊を裂いて日干しにする母の前に立った。
「母ちゃん、只今、休暇で戻りました」
敬礼する息子の姿に、驚き、烏賊の箱をひっくり返して、駆け寄った。
「雄平、どーしたのぉ・・・」
見違えるほど逞しく、勇ましくなった息子の肩、胸を叩き、嗚咽する様に抱きしめた。
雄平はしばらく母を抱き、ゆっくり匂いをかいだ。
変わらない我が家に入ると、梅子が悲しげな目で奥へ誘う。
小さな机に、白い包み。
位牌が置かれたそこには、父ちゃんの写真が置かれている。
狼狽することもなく、梅子に聞いた。
「父ちゃん、いつ逝ったんだ?」
「兄ちゃんが出征して半年後に、朝になっても目を覚まさないし、呼んでも返事がなくて」
「寝たまま、か」
「うん。」
暫く合掌したまま、時間が過ぎる。
焼香を済ませると、ゆっくりと母ちゃんの前に来て、座った。
「何か、あったのかい? 悪い、知らせに来たのかい?」
「母ちゃん、せっかく帰ってきたのに、そんな顔はないべ」
「したって・・・・」
「休暇だよ、俺たちにも、故郷に帰って休めって命令もあるのさ。明後日には戻るけどね」
「そうなら、いいんだけど」
お茶を持って来て、梅子は言った。
「光男さん、がね、・・・・・戦死したんだって」
「え! 光男が? どこで」
「ミンダナオ、って言ってたわ。お母さんの悲しみは、もう、見ていられないほどなの」
「いつ?」
「ふた月ほど前、かしら。遺品だけ入った骨箱が届いたの。万年筆・・・」
「母さんに買ってもらったって、やつか?」
「ええ。」
妙孝寺にある墓に、光男は眠っている。
白と黄色の菊を手向け、ゆるい風に煽られる蝋燭の火に線香をかざした。
「光男・・・・、激戦の地で散ったんだな。苦しかったろう。俺は・・・、俺もな、間もなく特攻隊の一員として、光男と同じように山桜となる。飛行隊の学校で死に向かう気持ちは学んだ。今は少しでも早く出撃したいという気持ちでいっぱいだ。この休暇が終われば知覧に向かう。俺が鬼畜米英の戦艦に命中すれば、家族を護れる。俺たちが立ち向かわなければ、奴らは日本を滅ぼし、母ちゃんや、弟、妹たちを皆殺しにする。だから、光男がミンダナオでそうしたように、俺も、自分の命を捧げる決意は出来ている。晴れやかなものだ。ただ、あとでそのことを知る家族のことを思うと、切ない。光男、おまえの母ちゃんは、涙を枯らしてもまだ泣いてる。俺の母ちゃんも、そうなるんだろうかと思うと・・・。なぁ、光男、俺たち・・・、俺たちは、国のため、天皇陛下のため、家族のために、己の命を捧げて、それでいいんだよな、光男・・・」
出征して2年、雄平は20歳になった。
厳しいという言葉を超える訓練で、特攻隊の一員として敵艦に身を散らす栄誉ある運命を全うしようとしている。
しかし、別れの再会を果たし、かけがえのない家族の愛を全身に浴びてしまえば、心がぶれないはずはなかった。
「光男。俺は知ってた。おう、そうだぜ、俺も光男はかけがえのない奴だと思ってた。これからはもう、誰にも遠慮せずに、思う存分そっちで楽しもうぜ。父ちゃんも母ちゃんも弟妹も大切だ、嫁さんも貰わなきゃならん、それはわかってる。でも、俺と光男の友情以上の心の繋がりは、消えん。魂だけになっても、消えん。ありがとな、俺を好きになってくれて。家族の写真と一緒に光男もお守りに入ってる。俺の股座が疼くときは、光男が悪戯してるって、いつも思ってんだぜ。お前のは、馬と狸だもな。喧嘩の時に喰らった金玉潰しの一撃は絶対忘れん。きっちり仕返しさせて貰うんでな。不謹慎か? ふふ・・あはは、勘弁してくれ、今はそれを言わずにおれんべ、な。じゃあ、もう行く。最後の晩飯を食ったら、明日の岸本雄平は散り行く山桜だし」
冷たい石の中にある光男の魂を感じながら、雄平は墓前に手を合わせた。
煙突から細い煙が流れている。
戦争さえなければ、静穏な家の、だんらんの薄明かりのはずだった。
「兄ちゃんが、帰ってきたって・・・お母ちゃん、ちょっとおかしくない? 光男さんが戦死したとき、日本は負けたんかって、家族の人が叫んでた」
「そんなことは、ないよ。ラジオでも、日本は勝ってるって、言ってるしょ」
「でも、兄ちゃんは、どこで何をしてるのか、話してくれないの・・・」
「梅子、やめなさい!」
普段は優しい母の、見たことのない厳しい目に、梅子は立ち尽くした。
家族で囲む最後の晩飯を終えて、雄平は話し始めた。
「母ちゃん、戦争のことはラジオで聞いていると思う。光男が戦死したように、どこでも日本軍が優勢だというわけではないけど、自分たち日本の陸海空軍は、とことん戦う。日本国民は有能で勤勉だから、鬼畜米英に負けることなんか、絶対にあり得んから。心配しないでくれな。義典、梅子、昭一、康平、末子、お前たちは母ちゃんを護れ、母ちゃんの言うことはちゃんと聞け。いいな」
甘えっこの末子は雄平の背におぶさったまま、康平は傍にぴったりとついたまま、神妙な顔をして聞き入った。
「兄ちゃん・・・どこいくの?」と康平。
「兄ちゃんは、あした、南の、海の、富士山みたいな山のある、あったかいとこに行くんだぞぉ」
康平の頭をくしゃくしゃに撫で、覗き込むようにして額をくっつけた。
梅子が、消えるように小さな声で呟く。
「兄ちゃん、・・・父ちゃんに、似てる・・・・」
出発の朝、晴れた日ではなかった。
少し風が立つ、どんよりと重い雲に覆われた朝だった。
機関車が黒い煙を吐いて重々しく鉄路を動き始める。
デッキで敬礼しながら雄平は家族を見つめている。
何も言わずに、ただ頷くだけで、瞬く間に眼に溢れる涙を浮かべる母ちゃん。
嗚咽をかき消す蒸気音が響く。
康平、末子が母親の傍で小さく手を振る。
ホームを出ていく機関車は、徐々に速度を上げて行った。
義典と、昭一、梅子が懸命に機関車のあとを追っていく。
「兄ちゃん、死なんでなぁ!」
「兄ちゃーーーん!」
「きっと、帰ってきてぇぇぇ・・・・!」
千切れるほどに手を振る弟と妹が段々小さくなる。
大声をあげて泣きたい雄平だったが、お国のために、家族のために、その決意を、拳を高くかざして、別れた。
(4)
知覧飛行学校、1月。
特攻作戦が開始され、自分の教え子たちが教えのとおり特攻出撃していく事となった。
責任感が強く熱血漢であった野本中尉は教え子たちとの約束を果たすため、再三の志願により特攻に認められた。
野本中尉は妻と幼い子を残していた。
妻は特攻志願を納得せず、しかし、野本の決意が翻意することがないこともわかっていた。
冬の深夜、幼子をおんぶしたままの痛ましい遺体が発見された。
「亮介さま、私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょう。一足お先に逝って待っています」
凍てつくような冬の川べりで、変わり果てた幼子の頬に着いた川砂を優しく払い、二度と目を開けることのない妻の名を呼び、慟哭した。
5月、快晴の上空。
野本中尉は隊員10名と共に、岸本雄平少尉の操縦する機に通信員として搭乗し、沖縄に向けて出撃した。
教え子達、そして家族との約束を果たしたのである。
終戦の翌日。
吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす―――
自爆攻撃である特別攻撃隊の編成、出撃命令を初めて発した海軍軍人である大西瀧治郎は、「死ぬときはできるだけ苦しんで死ぬ」の言葉どおり介錯無しの割腹自殺を遂げた。
未明の執刀から果てるまで、実に半日以上の苦しみを選んだ自決であった。
遺書には「特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平のため、最善を尽くせよ」と記されていた。
これでよし 百万年の 仮寝かな
2012年、夏。
開聞岳の、その美しい円錐の裾に打ち寄せる波は、敵艦めがけて散った軍神たちの魂を運んでくる。
中継地となった喜界島は、隊員に手渡された天人草の花束が、「花と一緒に散っていくのは忍びない」と空から落とされ、それが今では、種がはじけて、無数の花畑となり、絶えることなく季節の風に揺れている。
テンニンギク またの名を トッコウバナ
(完)
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