アルバム



春。

野に、道端に、地に張り付くように葉を広げ、黄色い花を咲かせるタンポポ。
一面真っ黄色に染めるほど無数の集団をつくり、したたかに生き抜く。
季節が過ぎても、雪が降るまで、所構わず咲き続けている。
その生命力。しかし、その花を切りとり、持ち帰り、愛でる市民は少ない。
花を閉じれば綿毛をつくり、日陰の、隅の、奥の方にまで生命を宿らせる。
それは美しいという見方ではなく、厄介者。
地中深くに伸びた根は、焙煎すればコーヒーとなる。
葉はハーブとして食せる。全てではないが。
傍にあって、表向きなんの変りもない植物であるが、
決して愛されているとは言えない。

タンポポ=英語名 Dandelion

【第1章 洋輔】
 
健二には、自衛隊当時からの友人がいる。
木下洋輔、30歳。
子どもの頃、家族のだんらんとは無縁だった自分と、似た境遇だった。
母の婿養子の父親は窃盗の前科がある。
保護観察中に母親と知り合い、俄かに善良な市民への意識が加速して結婚となった。
年が離れた義兄と4人家族。
ごく普通の家庭から不幸への変貌は、母親の浮気からだった。
パート先での不倫が発覚し、父親は善良な市民を放棄し、家族をも放棄した。
一時は母子家庭として、ギリギリの暮らしを続けたが、結局、兄弟は施設に預けられた。
以後、父のことも、母のこともわからない。洋輔8歳の秋だった。
母の連れ子だった義兄の雄三は9歳年上で、両親の不仲を敏感に察し、
思春期の不遇をそのまま、人生を自爆自棄するように、脱線を繰り返していた。
外道の道に入ったらしいことは、施設の職員の立ち話を聞いて知った。
 
 
健二と洋輔は、歳は離れているが洋輔の方から、兄のように慕っていた。
義兄の雄三との僅かな思い出を胸にしまい、健二にそれを投影しているかのようだった。
笑うとなくなる細い目。しかし、訓練中に見せる表情には意志の強さがうかがえた。
子供のころから柔道を続けている。
真面目に練習するが、大会ではこれといった成績を残しているわけではなかった。
身長は170、体重80くらい、肥満ではなく固太りしたがっちり体形だった。
 
健二が除隊して2年。
両親とともに東京で暮らしているある日、洋輔から手紙が届いた。
 
山中訓練で、先輩に金玉痛めつけられたこと。
柔道の練習で、金玉握られ生汗流して耐えたこと。
風呂場で羽交い絞めされ、先輩、上司に囲まれたところで金玉パンチされたこと。
「俺とおなじことを・・・・」読みながら、懐かしく思い出し笑いをした。
 
手紙の本旨は、洋輔が陸曹になる前の教育を受けている際の出来事だった。
 
 
『健二さん、俺ひとりが先輩にヤキ入れられるのは、仕方ないと思っていました。
健二さんがいなくなって、寂しいけど、この仕事、辞めるわけにいかないし、
この先輩たちに刃向っても無理ですから。
でも、自分も含め、後輩たちが奴らに執拗に幼稚で破廉恥な体罰受けるのは、
見ていて、おぞましいし、情けなくなりました。
黙っていれば誰も知らずに済むことですし、俺が胸にしまっておけばいいことです。
でも、やっぱり、度が過ぎます。
 
陸曹になる教育受けている最中のこと、話します。
 
一番若い、28歳の磯村孝雄って奴ですが、レスリング全日本強化選手です。
そいつが訓練に遅れてきたんです。また寝坊でした。
これは、孝雄にも責任があります。どんなことがあっても寝坊は理由になりませんから。
常習なんで、俺は何度も注告していたんです。
 
先輩たちは教育訓練で、孝雄を狙い撃ちしました。
ブリッジするよう命令したんです。訓練生11人の目の前で。
ブリッジすること自体、孝雄には苦痛でもなんでもありません。
筋肉質の分厚い身体がしなり、命令されるままに、その形をつくりました。
すると、5人いる先輩のひとりで、七五三木(しめぎ)って奴が孝雄の股の間に立って、
こともあろうに、そこを握ったんです。
「ぅっ・・・わっ!」
孝雄はビックリして、ひるみました。
ブリッジが崩れると、頭の側にいた諸橋って奴が、孝雄の頭を蹴るんです。
 
「金玉握られたくらいで、何だってんだ、おら! ブリッジ崩すな!」
 
七五三木はニッと笑って、大胆に孝雄の金玉を平手で叩きました。
俺たち研修生は顔を見合って、あられもない光景に絶句したんです。
「ォああアッ・・」
両手で股間を掴んでうずくまってます。
 
指導員の諸橋って奴が、真顔で俺たちに言いました。
 
「掟を破る奴は、こうだ。
自衛隊の掟は、守らねばならん。
誰も、逆らうことはできん。
こいつは、上司の命令を無視して何度も掟を破った。
全日本強化選手が聞いてあきれる。
恥ずかしさを知らん、愚か者だ。
いいか、貴様ら! 
ここは自衛隊だ。俺たちは、お前らの教育者だ。
この、レスリング野郎が、これからどんな教育を受けるか、よく見届けろ。
だがな、これが済んだところで、お前たちに何もないことは、ないんだぜ。
連帯責任ということぉ、いいかぁ、よーく覚えておけぇ!」
 
野太い声、他を圧倒するような目つき、胸毛と腕の剛毛が半端ない。
諸橋銀二1等陸尉43歳、柔道師範、ヤマアラシのあだ名そのままの男だ。
 
諸橋は七五三木を見やり、目で命令した。
 
うずくまる孝雄を仰向けにして股を広げさせ、中に胡坐をかいて座った。
「腕を組んで後頭部に置け」
これから起きることを察ししたかのように、膝が、震える。
七五三木は、その膝を抑え、孝雄の顔を覗き込みながら拳を金玉に打ち付けた。
グニュ!
「ぐわっ!」
「腕を離すな!」
怒号が飛ぶ。
「初めてじゃねエんだから、じたばたするな!」
山中の訓練を思い起こさせるように、七五三木は三度、四度拳を見舞った。
五度目のとき、身をよじり、孝雄はもがいた。
 
七五三木は、諸橋の目を見た。
こくりと頷く。
 
孝雄は、“アラーの神”に祈りを捧げるような、
尻を突き出したうつ伏せ態勢にさせられ、
股間の丸みを帯びた拳ほどの大きさのふくらみを、狙いを定めて蹴り上げられた。
ズゴッ!
がぁぁぁぁぁぁああああああ・・・・・・
のたうち、絶叫し、転げまわった。
 
アカゲラのようにつま先で床をつつき、額を床に粘着したまま孝雄は固まった。
同室の孝太郎がそばに行こうと立ち上がるが、諸橋の睨みで制止された。
 
金玉蹴られたくらいであのザマだ、日本代表とは恐れ入ったぜ。
寝坊する余裕がある馬鹿に、日の丸は付けさせられんな。
おう、洋輔、お前もそう思うだろ。
 
「・・・・」
「返事ッ!」
 
洋輔は、押し黙ったまま答えなかった。
 
「テメエ、舐めたことしやがる」
研修生年長の洋輔が諸橋に刃向ったことで、七五三木ほか3人の「指導者」は尋常でなくなった。
 
「お前ら全員、パンツ一枚になれ!」
怒号が轟く。
「どれだけの根性が叩き込まれているのか、見極めてやる。
6人一組、ピラミッド!
洋輔、お前は下段真ん中だ。
佐藤、櫛田、お前らは中段、井上、お前は上だ。
始め!」
 
諸橋は不敵な笑みを浮かべて、洋輔の頭に拳骨を落とした。
「もたもたするな!」
洋輔の両となりは、細身で軽量な後輩。
重量級の3人をほぼ洋輔が支えるようなものだった。
 
孝雄の組のピラミッドの背後に、もう一人の先輩指導者、伊藤浩二がいる。
ポケットからジッポーを取り出し、火をつける。
下段右端で金玉の痛みに耐えながら支える純の尻に、
伊藤は今消したばかりの余熱のあるジッポーをあてがった。
 
「わっ! アッツゥゥ・・・」
 
一気にピラミッドが崩れ落ちた。
 
「何をしとるんだ!
仲間を支えられんで隊員になれるのかぁ! 馬鹿者ォ!」
 
うつ伏せの孝雄の股間に足を押入れ、金玉をゴリゴリと押しつぶした。
腰を浮かせ、逃れようとすると金玉は引き伸ばされてしまう。
とっさに、仰向けになったが、
両脚を持ち上げられ、片足裏の金玉に全体重を乗せた。
大腿四頭筋がくっきりと浮く。ふくらはぎが痙攣するがごとく緊縮する。
首筋をあらわにして指先に緊張が走り、そのまま固まる。
「ぐわわわわわわぁ!」
唇をピクピクさせ、股間に両手を当てたまま白目を剥いた。
その時、
見ていた洋輔は股間が触られた気配を感じた。
「ひぇっ!」
一瞬、洋輔の全身に寒気が走る。
思った瞬間、ガチガチに握られた。
次第に目が暗くなったあと、腰と背中に乗った数百キロの人体を落下させ、
ドドドとピラミッドは崩壊した。
身体に感じているのは、打撲の痛みではない。
執拗にグワグワと体内に押し込んでくる金玉の痛みだ。
ピラミッドが崩れ、床に倒れこんでいる洋輔の金玉は握られたままだった。
重量級の3人が団子のように固まって洋輔の背面に乗り、
やがて、
七五三木の指先が洋輔の金玉の中に刺さりこんできているのに、逃れられないのである。
(どけ!豚ども! 洋輔は叫んだ)
孝雄への一撃に身をすくめた豚たちが、崩れ落ちても身動きできないでいる。
七五三木の手の中に完璧に捕えられた洋輔の金玉は、
押しつぶされ突き刺され形態を変えてしまった。
体の芯から壊れてしまいそうな屈辱、羞恥、憎悪、そして生汗。
 
意識が解かれたときまでの時間はどれくらいなのか。
洋輔は覚えていない。
 
「年長でありながら、このザマだ。おまえら・・・・」
 
諸橋の声を背後にしながら、苦悶の洋輔は歩き出していた。
(愚か者は処罰されるべきだ)
思いを胸に、洋輔は部屋を出た。
 
 
健二さん、俺、仕事失いました。
田舎に戻っても、仕事などありません。
幸い、俺には隊内で習得した技術があります。それを活かせる仕事を探します。
この手紙が着くころ、俺は東京に向かっていると思います。
落ち着いたら、知らせたいと思いますので、久々の再会を願っています。
 
では。  木下洋輔
 
 
「諸橋・・・」
決心するように大きく息を吐き、健二は、机の引き出しから革の手帳を取り出した。

【第2章 諸橋】
 
懐かしい北海道の土の匂い。
ライラックのほのかな香りと東京にはない6月の爽快な空気。
日本という国なのに、これほどまでに気候が違うものかと思った。
 
記憶がフラッシュバックして健二は躊躇するが、ゆっくり受話器を耳に当てる。
庶務課をとおして諸橋を呼び出した。
変わらない声だった。
「ここで話すことでもないだろう。外に出るから待っていてくれ」
 
しばらくすると、諸橋は私服で出てきた。
 
「どこで、着替えたんだ?」
「そんなことより、東京へ逃げたお前が、どういう風の吹きまわしだ」
「逃げた・・・・か。相変わらず減らず口だな、お前ってやつは」
「当たり前だ。シャワー室から逃げ出した理由が、あんなことだとは思ってないんでね」
「ははは・・・・」
乾いた笑いで、諸橋を斜めに見上げた。
「洋輔みたいな雑魚なんか、もう相手にゃしないぜ」
健二は、カラスが路上のゴミを漁り飛び立つのを、壁に寄りかかりながら見ていた。
「どんなネタ捕まえて、こんなとこまで来たんだ?」
「諸橋。立ち話する話じゃないんで・・・・」
「おう、わかった」
諸橋は、車を拾い、市街から離れた山の中腹のビルに入った。
「お前のか」
「俺のものだが、名義は違う」
「おかしなことを言う。結構なご身分だな」
 
サイドボードからグラスを取り出し、ウイスキーを注いだ。
テラスの先に碁盤の夜景が広がる。
「贅沢な暮らしをしてやがる」
デッキのソファに来いと、諸橋が目で誘う。
「洋輔は、惜しいことをしたよな。期待の隊員だったのに」
「あいつは、生真面目なやつさ。お前とは素材が違う」
「だがな、そうは言うけど・・・」
言いかけて、諸橋は健二のグラスに氷を入れ、ウイスキーを注いだ。
「美味いだろ、滅多に入らないぜ。・・・・そう、洋輔。あいつは真面目だが隙がある」
「隙って、何だ」
「顔に、出ちまうのさ」
「何が・・・。」
「おいおい、お前まで何を言っている。ここに来た理由、俺に会う理由、それだろ」
 
(健二さん。俺、七五三木と諸橋と伊藤の立ち話を偶然聞いたんです。
俺(洋輔)の義兄が奴らと関係を持っていて、麻薬、流してるらしいんです。
すみません、曖昧な情報で。でも、確かに聞きました。)
 
上空をジェットが通過する。
遠くに消防車と救急車のサイレンが鳴り渡っている。
聞きながら、しばらく、二人は夜景を眺めた。
 
「もう、着く頃かも知れん」
「ん? 誰か来るのか?俺、そろそろ・・・」
「いや、いていいんだ。お前の知らない奴でもないし」
 
諸橋の携帯が鳴る。
「わかった」
 
やがて、テラスの壁側に人影が現れた。
薄暗い廊下を両脇に抱えられ、目隠しの男が通り過ぎた。
立ち上がって諸橋の顔を見ると、健二はそのままソファに崩れ落ちた。
七五三木と伊藤がテラスに来た。
「部屋に入れておきました」
諸橋は頷き、ソファの健二にもそうしておけと、目で指示をした。
七五三木と伊藤が部屋を出ると、諸橋は深い息を吐きながらソファに身を沈めた。

【第3章 法助-1】
 
県警四課は騒がしかった。
「高木部長、外線5番です!」
「高木・・・・・・・ん・・・・ん・・・・・・・何゛ぃ!」
轟く声に、一瞬静まり返った。
乱暴に受話器を置くと、
「小村ぁ!」
ドスの利いた声が響く。
「あの・・・高木部長・・・小村さんは休暇です・・・けど」
「何ぃ(憤怒)呼び返せ!」
「そうは言っても・・・ここにはいないですから・・・」
「ナンだとぉ! 汗臭い金玉デブの馬鹿野郎が!暢気なことしやがってぇ」
「ってか、部長、何があったんですか」
「神武会の木下雄三39歳。現陸上自衛隊真駒内、諸橋銀二1等陸尉43歳、陸曹候補者教育部長。麻薬取締法違反で逮捕状だ」
「え!それならぁ・・・小村さん、海釣と毛蟹食べに北海道に行ってますけど」
「今すぐ、電話、呼び出せ!」
 
(小村です。只今、毛蟹試食中ですので電話に出られません。
お急ぎの方はメッセージをお願いします。・・・・・ぷぅ~~~~~)
 
「あの馬鹿・・・蟹バサミで金玉切り落とされてしまえ! くそっ。八幡、お前行け」
「わかりました。」
「おい、小村には、俺が怒ってたこと、言うな。・・・・わかったか!」
「い・・・い・・・・ぃ言いません!(汗)」
 
 
オホーツク海に面した小さな漁港、枝幸。
毛蟹の水揚げを主産業としている小さな港町だ。
 
「法!早く乗れや、出るぞ!」
「うっす、今行くっす」
5月から港は毛蟹漁が始まり一気に活気づく。
7月のカニまつりは数万の観光客であふれる。
満月晃は、海釣りが好きな小村を以前から枝幸に案内したいと、誘いを入れていた。
 
「満月、急だが、この週末から行けそうなんだ。都合はどうだ」
「ああ、いいとも。空港で出迎えるんで」
「悪いな。楽しみにしてる」
 
旭川空港から大雪山連峰、花街道を通過して丘のまち美瑛、ドラマのまち富良野を走る。
めったに来ることはないだろう北海道。
せっかくなので遠回り観光をサービスした。
「小村、このあたりはSKYLINEのCMで有名になった・・・・」
(なんてこったい。寝てるぜ)
まあ、花や丘を見せたところで、小村には魚と蟹にしか見えないだろうし、
立ったまま寝るなんて特技持ち、不規則な勤務で疲れてんだろうから。
しばらく走行し、道の駅で休憩を取る。
まだ寝てる小村の股間を「ぽん!」して叩き起こす。
「ションベン」
「お・・・おう・・・ここ、どこだ」
寝ぼけ眼をこすっている。
「枝幸の道の駅だ」
「ぅおおおおお、海だぁ。来た来たぁ、オホーツク」
まるで子供のようにはしゃいでいる。
立ったまま、大の字に伸びをして大満足の深呼吸をする。
「天気もいいし、期待してもいいぜ、小村」
「北の海は鉛色かと思ったが、あはは、たまんねぇ青さだなぁ。最高だぜ全く!」
そこへ、満月の会社から電話。
「社長、譲二が緊急入院しまして、明日のプレゼンできなくなりました」
「緊急?どうしたんだ、何があった」
「今日も徹夜明けで、PCに向かってました。相当無理してたんで、過労かと」
「わかった、これから戻る。譲二には心配するなと」
坂口譲二は満月の会社の広報部長を務める。大口の契約を控え連日深夜までプレゼンの調整をしていた。
だが、代役を務められる社員が手薄で、入院は正直手痛い。
「小村、悪いな、会社戻らなきゃならん」
「いいさ、俺なら何とかなる」
「滞在中の世話を頼んでおいた漁師がいるんで、いま連絡してみる」
 
漁協のトラックに乗り込もうとしていた小倉法助の携帯が鳴った。
「はい、オグラっす」
「ども。今日からいろいろと面倒かけるが、よろしくな」
「全然大丈夫っすよ。夕方6時でいいんすよね」
「ああ。それで、すまないが、自分が会社の用で今から帰らなきゃならん。任せたいが、いいか」
「全然かまわないっすよ」
「ありがとう。じゃ、頼む」
 
温泉付きの小さなホテルにチェックインして、満月はロビーにいる法助を紹介した。
「小村です。お世話になります」
「小倉っす。よろしくっす。漁師やってるんで。じゃ、明日乗る船とか見ますか」
「んじゃ、自分はこれで帰るから。小村が帰る日には迎えに来れるから、心配するな」
「悪いな」
「法ちゃん、よろしく」
「了解っす」
 
トドみたいな二人を、車のルームミラーから見ていた。
「あいつら、兄弟か」
そう思うほど似た者同士だ。
 
「小村さん、船見て、飯、行きますか」
「そういや、腹減ったし」
港に案内され、船の下見をしたあと暖簾をくぐったのは法助行きつけの、ろばた“番”
店内は、ススで黒々としており、客を馴染ませる独特の雰囲気が醸し出されていた。
当たり前の新鮮さで、何を食っても美味い。
「おやじ、今日上がったやつで、あれ、頼むわ」
今日上がったばかりの毛蟹の甲羅を剥がし、たっぷり濃厚なカニみそに酒を注ぐ。
「ほい。まずは、これだべな」
法助が差し出す。
一口飲むなり、小村は笑いが止まらない。
「うまいべさ。いけるっしょ」
「いやぁぁ・・・・たまらんすね、これ。あははは・・・・いやぁぁすげぇぇ」
辛口の酒に、カニみそ特有のうまみを溶け込ませた甲羅酒は、感動ものだった。
脂がのったホッケの開き、巨大で分厚いホタテ、カレイ、アスパラ、ふんだんに。
「どれもこれも、スゲー」
「なんも、こんなの普通だ。お客さん、どっから来たのさ」
「名古屋です」
「そらどってん、遠いわぁ。ひとりかい、釣りかい?」
「ありゃ、バレルの早いなぁ(笑)」
「法と一緒かい」
「はい。漁師さんだというので頼もしいですよ。いろいろと教わりながら・・・・」
「そりゃ、ま、法に授業料でタマ握られるべな、ははは・・・」
「え?タマ・・・浮き玉ですか?」
「あはは、いやいや、知らんのかい、知らんべな。法は男好きだ」
「え゜?!」
「いや、なんもなんも。みんな知ってることだ。法は漁師だ。女の腐ったホモとは違う」
「男好きで、ホモと違うって。よくわからんな。法助さん、カムアウトしてんですか」
「っす。隠すも何も、みんな知ってるっす」
「お客さんは、こんなこと聞いて、どってんこいただべな、ははは」
「あ、いやぁ、自分にも片思いの先輩、いますから」
「結婚してんでしょや。指輪・・・」
「一応してますが、男が男に惚れるってのは、ありますからね」
「っす、あざっす」
「この町じゃ、法をおっかしくしゃべる奴はいねぇ。立派な漁師だし、気持ちが真っ直ぐだし、いい奴だぁ」
「法助さん、初めて見たときから男気ある感じで、俺、好きっすよ」
「ほい。ツブとホタテの刺身。法、この客人、ただの釣り人じゃなさそだ」
「いやぁ来た日から満足満足大満足、この甲羅酒も最高で・・・ないかい」
 
上機嫌でその日は飲んだ。
法助もめっぽう酒は強く、飲みっぷり食べっぷりが豪快だった。
北海道の幸が、たらふく胃袋に収まった。

【第4章 法助-2】
 
翌朝、海に出た。
 
漁港を4時30に出港。
ポイントは港を出て15分の処にある、水深40mライン。
餌はホタテのミミ(ヒモ)、仕掛けは黒を基調としたスペシャル・オホーツク仕掛け。
ふぐがうるさいので「ふぐ防御機構付」、針は大物期待の17号。
前日の荒れた状態が少し残っていてうねりがチョトきつかったが、
次第に回復してきて 最高の「釣り日和」となった。
クロガシラが面白いように釣れる。
枝幸のカレイは本当に見事だ。
マガレイ、イシモチ、クロガシラとそれぞれ良形の物が釣れる。
マガレイは30オーバーなどざらで、クロガシラは50cmを超えるものや、
イシモチにいたっては60cm近いのも釣れる。

法助曰く「今日は潮の状態が余りよくないのでこんなもんかな」・・・・
しかし、小村としては55cmのクロガシラを手にしたので大満足である。
釣り糸を垂らしながら小村は言った。
「法ちゃんは、柔道やってるんだったな」
「うっす」
「釣りのお礼に、練習、付き合ってやってもいいぜ」
「あはは。そりゃどうも。ってか、大きさ違うんで無理っすよ(笑)」
「やってみなきゃ、わからんっしょ」
「お?北海道弁で来たな。ははは・・・いいけど」
釣りを終えて港に戻り、小村は少し休憩を取った。
しばらくして、部屋の電話が鳴った。
「オグラっす。今日、道場休みなんすが、特別にあけてもらったッす。今から・・・」
「わかった。向かうんで」
磯のにおいとカモメが飛ぶ道を、ホテルから6~7分歩く。
着替えを済ませ、向き合って乱取り。
178cm90kgの小村と、180cm120kgの法助。
身体が馴染んできたとき、次第に気合が入ってきた。
やはり、違いなのか、小村には難敵のようだ。
腕を下げ、軽く飛び跳ねながら法助の隙を窺う。
内股を払おうとしたとき、法助が踏込み、膝下で法助の股間をえぐった。
「ぐぇ!」
「すまん、いったか」
「イテッス」
「入ったのか」
「いや、よくあるんで、大丈夫っす。小村さん、やり手っすね」
「ん。初心者じゃあないぜ」
立ち上がり、再び組み合った。
多少勢いが萎えたか、法助の襟をつかむと体を崩して抑え込んだ。
しかし、重量に勝る法助は小村を煽り、逆に抑え込んだまま、言った。
「小村さん。でかいっすね」
「おお。百戦錬磨の金玉は多少叩こうが捻ろうがびくともしないぜ」
「いいっすか、やって」
「ん?法・・・」
既に、小村の金玉は法助の熊のような手の中に納まっていた。
襟足を掴まれ、引き寄せられ、上半身が固定された中、じわじわと金玉が絞られる。
「ふふふ。そんなもんか」
「そんなもん?いえ、どんなもんだか、いきやすよ、小村さん」
一気に、握りが圧を加えて玉が抑え込まれる。
「ああっ」
「もう、あああ、っすか。早いっすね」
挑発する法助の言葉に、小村の目が鋭くなった。
睨まれた法助は、逆に挑発されたと、握った手を放して拳を握った。
「漁師なんで、握力は並み以上なんすよ。破裂したらやばいんで、これ、行きます」
ズゴッ!
下履きの上から、汗で湿った股間の小高い丘に落雷した。
「うおぉ!」
固められた体を軋ませて、体幹を突き抜ける痛みを逃れようとした。
「効きましたっすか、ははは」
胴衣がはだけた胸の谷間に、汗が滲んでいる。
法助はもてあそぶように小村の金玉をコズいた。
ゴツ。
ゴツ。
ゴツ。
(こいつ、知ってやがる。ただの漁師じゃねえな)
落雷の震撼に耐えながら、小村は法助の玉攻めを思った。
「効かねえよ。そんなんじゃ。もうお終いかい」
ガツーン!
金玉の裏側に叩き込まれた岩拳。
演技のしようもないえずき。俄かに吹き出る生汗。
「入れて、いいっすか」
片目をやっと開けて、好きにせい、と言う暇もなく平手が玉をひしゃげた。
腹腔に入るはずもなく、逃げ場もない。
法助は袋の根元を絞り、パツンパツンになった金玉を叩き潰したのだった。
道場に響く小村のうめき。
法助の目が、涙目の小村に刺さる。
ニッと笑ったかと思うと、三発、立て続けに平手潰しが見舞われた。
漁師の、グローブのような掌。その指で潰されるだけでも悲鳴をあげるよな、
ドデカイ男が繰り出した一撃、いやその数々に、百戦錬磨もいささか参った。
 
広い道場にうずくまったまま、しばらく時が過ぎた。
 
一汗ぬぐったような顔つきで、法助が戻ってきた。
「だいぶ、引きましたか」
「やるな」
「うちの道場じゃ、俺が餌食っすから、今日は餌食になってもらったっす」
「どこの出だ」
「国○館っす。親とは大学までって約束で、卒業したら漁師になれって」
「練習は」
「仕事が仕事っすから、柔道は遊びみたいなもんっすよ。さて、番、行きますか」
でかい尻を小村に向けて、立ち上がったところを呼び止めた。
長い滞在でもない。このお返しは、のしをつけて返さねばならなかった。
「法助。お前の“根性”見せてくれ」
「えっ? だって、その体力じゃ無理っすよ・・・・」
バッコーーーン!
胡坐をかいている小村の目の前に大の字に立った法助を、真下からカチ挙げた。
「ゲッ!」
くの字に曲がるや、両手を股間にあてたまま小村に覆いかぶさるように崩れ落ちた。
「その大学じゃ、手ぬるい金的じゃ失礼にあたるでな」
金玉が逃げないように胴衣をたくし上げ、鶏卵の殻を破るような拳骨がねじ込まれた。
「どぁぁぁぁぁあああああああ!」
窓ガラスがビシビシ振動するが如く、大声を張り上げてもんどりうつ。
巨漢が小村を振り回すよにバタつくが、鍛えた下半身で踏ん張る。
うつ伏せた後ろ姿の尻の大きさ、女の胴ほどの太腿の間のいじましい金玉を、
小村はポパイの力瘤を試すように、ブチ当てる。
瞬間に足は閉じられ、腕は挟まったままになった。
無理に引き抜こうとしたとき、指が金玉を押し潰し、ひっかき、
すかさず小村は片玉を人質にして、空豆にした。
「どぅわわわわわわわわあああああああ」
全身真っ赤になって、のたうつ。
「これで終わったんじゃ、船長に失礼だしな」
両脚を、“やっと”広げて、ラグビーで鍛えた丸太足の踵で電気あんま。
足裏に二個の固形物が、沸騰する鍋で身の置き所を探すように飛び跳ねる卵に似て、
押しては跳ね返すように踊った。
法助は口を蛸のように尖らせ、やがて、電気あんまが膝落としになって金玉を潰した。
腹にまたがり、下履きの中に手を入れて生卵を鷲掴みして揉んだ。
「竿も、玉も、でけぇ」
左右一個づつソラマメ潰しするたびに、巨体から落とされそうになるが、
タコの吸盤のように足裏で踏ん張り、自分にされたように金玉を引っ張り、
3度4度と拳で叩きつけた。
さすがの法助も、えずいて固まった。
額の汗をぬぐい、やがて小村の金玉の鋭痛が蘇り、顔をしかめながら法助をさすった。
「でけぇよ。貴様のは」
「死ぬかと思ったッす」
「法助。名古屋に毛蟹持って来いよな」
「へへ、なんもだ」

【第5章 健二】
 
「八幡六郎です。今、道警にいます。木下雄三と諸橋銀二に逮捕状出ました」
携帯に出ない小村にメールした。
しばらくして返信の電話が入り、小村は健二に会うと知らせて切れた。
その後、しばらく連絡が取れず、八幡は道警に待機せざるを得なかった。
「ふぅ・・・これじゃ、また部長に怒鳴られる・・・」
 
生い茂る木立の葉が、サワサワと音を立てる。
車が頻繁に往来するエリアではなく、ましてや、近くにコンビニなどない。
瀟洒な家屋が続く閑静な住宅地区の、RC造地上3階地下1階の建物が諸橋の住まいだ。
ウイスキーに睡眠薬を混入させるなど、諸橋には特別なことではない。
麻薬というものが、特定の人間に扱われる時代は遥か過去のことで、
それを求めて市民が反社会的組織に関わりを持ち、やがて身を滅ぼすことなど珍しくなかった。
 
諸橋自身が、そうであった。
自衛隊という規律と縦社会に身を置き、自尊心が高すぎる諸橋は一時反逆者となった。
街を徘徊し、麻薬に手をだした相手が木下雄三だった。
身体的に立ち直れたのは諸橋の意志の強さかもしれない。
しかし、性格の更正には及ばなかった。
木下との癒着は続き、合同訓練の外国人のパイプ役となって“こ汚い資金”を貯めた。
 
陸曹教育訓練生の木下洋輔は義弟だと、雄三から聞かされた。
雄三には所属隊など知らないし、今逢っても、面影さえわからないだろうと言った。
洋輔の除隊と健二の突然の再訪。その理由が何であるか察していた。
 
地下室に降りる。
「磯村。薬が欲しいなら、余計なことはしない方がいい」
「俺は、べつに・・・」
「別に、何だ。毎度の寝坊がどういう理由か、俺たちが知らないとでも思ってるか」
「・・・・」
「足を踏み入れると、戻れねぇんだぜ。知りすぎるってのは、よくねぇな。お前の携帯を調べてるからな。口を割らなくても、いづれわかるさ」
「どうする気だ」
「ふふ。お前のその腫れた金玉、今なら触れるだけでも耐えられんだろよ。じきに楽になる。ははは・・・」
「諸橋さんよぉ、あんたみたいなクズが自衛隊でのさばってるなんて、俺は許さん」
「ほほう」
そう言って、磯村の顔を間近で覗き込み、顎を鷲掴みして突き放した。
後ろ手に拘束され胡坐をかいていた磯村は、その拍子ででんぐり返しになり、
一瞬、さらされた股間に、諸橋は踵から蹴り飛ばした。
「どぅわわわわわわぁぁぁぁぁぁあ」
連れてこられる間、七五三木らに散々責められた金玉を仕留めるには、諸橋の一蹴りで十分だった。
 
部屋を出て、廊下の奥の部屋に入った。
放り投げられたように、床に突っ伏している健二の足を蹴り、丸太を押し回すように仰向けにすると、平手で健二の頬を叩いて目を覚まさせた。
「無理に起こして、悪かったな」
ゆっくり目を閉じたり、開いたり。自分のおかれた状況を確認するように周囲を見た。
「俺も、そんなに暇なほうじゃないんでね。はやいとこ終わらせんと」
「飲ませたな、諸橋」
「ん?何をだ?」
「薬のやりすぎで、イカレた頭は治らないようだな」
「好きなこと言ってろ。お前はここから出られん」
健二を跨いでいた諸橋を、ここぞとばかりに蹴り上げた。
「ぐあっ」
大股開きの股間に健二の膝が入った。
とっさに、立ち上がってドアに向かうが、足がふらつく。
ノブを回して引いたとき、背後からドアに押し付けられ、片腕をとられた。
「てめぇ、小癪なまねをしやがる」
髪を引っ張り、空いた首に腕が回る。
柔道師範の熊男の腕が巻かれ、窒息しそうになりながら、部屋の中にひきづられた。
睡眠薬のけだるさと、息苦しさ。再び朦朧とするかなで、健二は脱出のことのみ考えた。
しかし、諸橋は容赦しなかった。
「こともあろうに、金玉かよ、健二。俺にくれた金玉のお礼は、のしつけて返してやるぜ」
首を巻かれたまま、床に叩きつけるように投げ飛ばされた。
「柔道が苦手なお前が、俺と対戦かよ。笑わせるぜ」
拳が、健二の顔面を弾いた。
「息の根止められる前に、お前にチャンスを与えよう」
「・・・」
「木下雄三は、札幌から名古屋に流れた。荒くれは、そこで助長されたようなもんだ。無学でただ粗暴で、何の取り柄もない馬鹿だ。健二、お前、小村ってデカ知ってるな。雄三が会いたがってるんでよ。何とか、骨折ってくれんか」
「小村、誰だそれ」
諸橋は、健二の股間を鷲摑みした。
「おうっ」
「潰すぜ。言えよ」
「だから、小村って、誰だって」
一気に握り締めた。が、デニムの厚みとジッパーの硬さで、奥まで握りこむことはできない。
鳩尾に数発の拳骨を見舞う。
「ぉうううううう」
腹筋に覆われた健二の腹だが、不意打ちは堪える。
喉輪を決められ、伸びた身体に膝が落ちる。
股を開いて、喉輪を取ろうともがくが、股の間に諸橋がおり、じたばたする健二のがら空きの股間に痛烈な膝が突き刺さった。
ブムっ!
「がっ・・・・かっかっ・・・・かかかぁ」
息が吸えない苦しさと、体幹を疾走する激痛。声にならない。
なおも、諸橋は2発繰り出した。
無理やり健二を立たせ、壁に押し付けて腹に膝蹴りを入れる。
抵抗して腕を振り回すが、ぼんやりとしてよく見えていない。
熊の手の拳が、健二の鍛えた腹筋をぶち破るかのように食い込む。
諸橋は物を粗末に扱うように、殺気立ち無表情で責め続けた。
 
 
「小村さん、八幡です。道警からの情報です。諸橋は妻名義の住宅を持ってます。南区で定山渓の方向です」
「六郎、そこまでは知ってる。今向かってるんで。応援頼む」
「わかりました。諸橋宅には電話入れましたが誰も出ません。応援、既に配置してます」
「磯村孝雄の情報はどうだ」
「七五三木と伊藤が連れ出してるとの情報です。諸橋宅ではないかと。ただ、張り込みの刑事から、二人が家を出たのではないかとの未確認情報です」
「ではないか、は、やめろ。正確なのをくれ」
「わかりました。確認しだい連絡します」
 
「健二の奴、なんで電話に出ないんだ。せめて、メールくらい」
 
諸橋が突っ伏した健二のジーパンを引き剥がしたとき、受信している携帯が転がり落ちた。
「小村から・・・くそ! そこまで来やがった」
携帯を叩きつけて壊そうと振り上げたが、思いとどまって、ポケットに入れた。
その隙に、健二が諸橋の覆いかぶさった。
必死にしがみつき、組み落とそうと背面から攻めた。
しかし、諸橋には赤子の手を捻るが如くひ弱なものでしかなかった。
組み手を外すと、腕ひしぎ十字固めを激しく決められた。
無言の諸橋は、パンツ姿の健二の生金玉にナックル、蹴り、踏みつけ、
えずき、白目を剥いて泡吹くのを見届けると部屋を出た。
寝室の窓から外を窺う。
「チッ!クソ野郎ども」
地下室から戸外に出る非常用のドアから諸橋は出た。
 
小村が車を降り、張り込みの刑事たちと突破する。
明かりの気配は2、3階にはない。リビングを任せ、小村は他の刑事と地下に降りた。
「健二!」
ぐったりとして、腫れた目をやっと開けた健二は、しばらくして小村と知ると、薄笑みを浮かべて気を失った。
「上にはいません」
「そうか」
「小村さん、地下に非常口が」
「多分、それはわかっているだろう。救急車頼む」
口元の血をハンカチでぬぐい、小村はじっと健二を見ていた。
 
運ばれた病院で、小村は健二に何も言わず、何も聞かないでいた。
健二の表情は穏やかで、何も話をしないことで、お互いがわかりあえていた。
健二は、左肘靱帯断裂と亀裂骨折、左右の睾丸に亀裂は認められたが経度で、摘出の必要はなかった。
一緒に運ばれた磯村孝雄は右睾丸破裂で、摘出手術を受けた。
小村は大学ラグビー部で出会った、喧嘩で方玉になったある男のことを話した。
相当ショックを受けた磯村には慰めにしかならなかったのかもしれないが、
自らのラグビースピリッツも語り、磯村は感涙して聞いた。
メンタルケアも含めて、2か月後に磯村は隊に復帰した。

【第6章 小野田】
 
「いや、蟹味噌ってのはな、辛口の酒にはピッたしなんだ。どってんこく美味さだ」
「どってん・・・なんすか、それ」
「驚くほど、そういう意味よ。北海道弁ダぁ」
「で、1匹くらい釣れたんでしょ?」
「俺様の釣りを、馬鹿にするのか、こら」
「こらじゃない。こっちに来い」
「ぅイッ!」
耳を摘まれ、小村は引っ張り込まれた。
「誰だ、こらっ、痛っつーの、離せ、バカヤロウ」
部長のデスク前に引き込まれた。
 
「俺は、馬鹿野郎か。小村」
「うっ、いきなりそれですかい」
「八幡が行かなければ、この事件はどうだったかな」
「六郎は、よくやったです。感の働く奴ですから、今回も、すぐに諸橋をとっ捕まえましたし」
「健二とは旧知の仲だったな」
「っす。」
「小野田重蔵。知ってるか」
「いえ、初めて聞く名前です」
「森下健二の上司だったそうだ」
「話が聞きたいと、面会を求めてる。どうする」
「ああ、健二の上司なら、会ってみます」
「一人はまずいんで、八幡つけるか」
「あ、健二の知人なら、俺ひとりで大丈夫っすよ」
「あ、小村・・・ちょっと・・・」
席を立った高木部長が小村に寄ると、小声で呟きながら股間を鷲掴みした。
「ぅがぁ!ぶ・・・っちょう!」
「携帯、切ったら、どえりゃなことになるがや。規則違反だが、な」
 
名刺を渡され、小村は指定された場所に赴いた。
古い民家の、樹齢が100年は超える大木が生い茂る屋敷だ。
表札の小野田を見極めて、中に入る。
静寂な宵の口。
屋敷にも人影を感じない。不思議に、玄関にはインターホンが備え付けられている。
違和感を感じながら、一度、押す。
「入りたまえ」
低い声がした。
玄関の土間で待つと、体格のよい男が出てきた。
「呼び寄せてすまない。小野田重蔵です」
「少し遅れましたが・・」
武家的な構えの室内を、いくつかの坪庭を回って案内されたのは、奥の部屋だった。
作務衣を着た小野田は、鋭い目つきをしていた。
「お呼び立てしました。ここには、私のほかにはおりませんで」
「健二の、いや、森下健二の上司と窺っております」
「入院しておられるとか」
「はい、大分回復しております」
「部隊の諸橋と七五三木、伊藤が、大変お世話になって」
「お世話・・・ほう、逮捕という事実を、どうお考えですか」
「一服、どうぞ」
「不作法ですが」
小村は、いきなりの茶道に戸惑いながら、点てられた抹茶を啜った。
 
「大きな組織というものは、規律でその秩序を保たなくてはなりません。しかし、個人の私生活にまで監視を凝らせるのは難しいところがあります。諸橋は、私の後輩でありました。不徳の致すところでありますが、諸橋は思慮が足りませんでした。
あ、足が痺れますか、崩されてもよいですよ。緊張のご様子、どうぞお気を楽に。
諸橋、いえ、公務員として、いえ、人として・・・・手を出したものが良くありません。
ふふふ・・・・小村さん、男に隙があってはいけませんね。健二の二の舞踏みますよ」
 
そう言って小野田が立ち上がると、小村も立つように促した。
俄かな足の血行不良なのか。指先がジンジンとしている。緊張のせいか、少し体も重い。
「自分を呼び寄せたのは、仕返しか、俺の始末か」
「伊達にその道の飯を食ってるわけではないようだが、あなたがここから出るには、私を倒さなければ、できません」
「望むところ」
 
睨みあい、すり足で互いの動きを見る。
最初に仕掛けたのは小野田だった。
襟を引き、足を払うやいなや、強引に押し倒そうとした。
小村は、交わして小外刈をしかける。体勢を崩しかけた小野田の内またを責める。
「っつ!」
小野田がしかめる。
間をとらず、襟を引いて体を落とそうとしたが、自分の身体が思うようにならない。
もつれた足が、自らをつまずかせ、尻もちをつくように転んだ。
小野田の目が薄い笑みを浮かべる。
 
「そう、健二もこのくらいお粗末な未経験者だった。所属隊長から指導・訓練を頼まれ、好意で時間をさいてやったのに、こともあろうに、あいつは俺を突き飛ばして逃走した。柔道で、ここを掴まれたくらいでひるむ奴は使えん。お前は、どこまで耐えられるんだ。俺の攻めに耐えられるのなら、ここから出そう。どうだ、小村」
「たわけ。誰にものを言ってる。(うっ!)ここを、正面から出てやる・・・(おぁ!)」
強力握力で、小村の金玉が押される。
「俺が、自衛隊の中で武道を習得したと思うな。諸橋ともども、神武会にゃぁ足を向けられねぇ。小村、お前には神武会はごみだとしか思っちゃいないだろな」
「茶に毒を盛って、武道の話かい、生ごみ」
寝たまま、尻を膝でど突き飛ばし、転がる小野田を寝技に持ち込もうとした。
が、
足が、もつれる。
不甲斐ない恰好で小野田に捕まる。
もう、柔道ではない。
小野田は金的を狙う。
うつ伏せた小村の股間に手を回し、節だったごつい手で鷲掴み、揉みあげる。
スーツのズボンの、すこしの余裕もない股間で、行き場のない金玉が揉まれる。
ギュー――――グイグイ。
「ぅぐううううぁぁぁぁ・・・」
素早く体を起こし、掴んだ片足を開脚して左に寄っている玉を踏みつぶした。
「ダァァァァ」
腰のベルトを掴みあげ、浮いた股座に脛がぶち当たる。
開脚して膝落とし、そのまま按摩。
掌で、改めて位置を確認しながら、手刀を落とす。
じっとり、滲み始める汗。
首のネクタイを手荒くはずすと、その指がみるみる充血するほどきつく手首を縛った。
「汗くらい、拭いたれや」
苦し紛れ、我慢の底の強がりだった。
作務衣の上着を脱ぎ、50の男には驚きの筋肉の鎧をさらした。
「こう、か」
拭うと、上着を投げ捨て、小村の顔面を平手打ちする音が静寂な室内を裂いた。
「おあつらえ向きのズボンだぜ、小村。標的がわかりやすい。だがな、太ももの肉が苦痛を和らげちまう」
そういってベルトを外し、ボクパンの下半身が剥き出しになった。
「ふふふ、手の感触どおりの膨らみ具合だな、小村。パンツの裾からはみ出るような重量のある金玉は、こうして獲物として処刑されるために造られたようなものだな」
玉だけ、剥かれたまま、ソラマメにされた。
左右の、金玉の硬さがなくなるくらいに、ゴリラの指で扁平にされる。
「あ゛ッ、あ゛ッ、あ゛ッ、あ゛ッ、ァァァァあ」
吹き出す生汗を振り切るように、首を振り、のけぞり、やがて小刻みに震える。
「狸め!」
ぼそっと吐くと、金玉締め上げパツンパツンのテカテカ金玉に平手パンチ。
声も出ない、息苦しさで転げ、のたうつ。
放置されたまま、30分。
おもむろに片足とってひっくり返され、四つん這いの股座に蹴りが入った。
崩れるたびにベルトで起こされ、繰り返される股間蹴り5発。
ぐったりと、次第にえずき、汗が畳を濡らした。
小野田は、小村の金玉を摩り、事もなげな顔で胡坐をかいた。
ただ、時間を待つだけの沈黙。
暫くたって、パンツの裾から方玉を取り出すと、縦に押しつぶす。
大分腫れてきた玉に、満足げな薄笑みを浮かばせる。
「出られんな。小村。残念だな」
パンツ剥がされ、剥き出しの金玉の裏めがけて、渾身のナックルが10発。
涙も、泡も、吐く下呂もなく、噴き出す汗も塩になった。
 
 
目をさまし、小村は寝台の上にいた。
「病院っす。さっきまで高木さんって方、いました」
小村は、ふーっと息を吐いて、目を閉じた。
「いつから居るんだ」
「小村さんが、署を出たときから」
「はァ?」
「俺、すぐにまた会いたくて、蟹積んで、トラックで来たっす。誰っすか、こんなことしたの。俺、敵とってくるっすよ」
「ありがとよ、法助。お前は最高な奴だぜ」
「蟹味噌酒、飲むかい」
「はははは・・・ァ・・ぃテテテテ」
「笑ってるのに、痛いんかい」
 
二人の、まったりした時間が、過ぎた。
 
(了)


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